日本語版への序文

デイビッド・ウェグナー

 

河川は世界中の国々で、環境、社会、経済発展において主要な役割を果たしてきた。川は景観を統合して、持続可能な環境や社会が展開されるのに不可欠な連鎖やプロセスを提供しているのである。一方、ダムはこのような河川や河川水系を管理し、操作するために建設されてきた。ダムのサイズは、河川源流にかかる小さなものから広大な河川を押しとどめている巨大なダムまで、実にさまざまである。この本は小規模なダムを中心に、確かな意志決定を導き出すためには科学知識を統合する必要性があるということに重点を置いて記述されている。

それでは、どうして小規模ダムに焦点をあてるのだろうか。答えは簡単である。世界的に考えてみた時、小規模ダムの数は何百万にも及び、大型のダムよりはるかに多く存在するからである。ダム建設時代の初期に建設されたのは小規模ダムであり、そのためにその多くが将来的な存続の可能性を危ぶまれている。小規模ダムはまた、地元の人々や地方行政、団体組織などがその撤去に関する判定を議論、討議し得るような領域内にある。ダム撤去の議論においてこれまで欠けていたものは、小規模ダムの撤去の可能性を審査し、評価することのできる明確な論理的プロセスであった。

この本は、そもそもダムに関する議論が高まったことにより生まれたものである。アメリカ合衆国ではすでに何百もの小規模ダムが撤去され、また、さらに多くのダムが今後の撤去の候補にあがっている。だが、それぞれのダムや川・湖といった水塊のどれ一つとして同じものは無く、これらはその地域や地方全体の観点から評価されなければならない。この本はこうした小規模ダムとその撤去の可能性を、論理的な方法で評価するための科学ベースを提供するために書かれた。また、本書はあらゆるダム撤去の議論において、対処されるべき疑問点や問題点が適切なものとなるように、地域の市民や団体にとっての指針となるべく考案されている。

この本はどのダム撤去の研究においても評価されるべきあらゆる問題に読者が対処できるように構成されている。ここに含まれるものは、

(1)       意志決定プロセスの概略

(2)       ダム撤去における物理学的、生物学的、経済的、社会学的側面の検証

(3)       将来的な研究や調査の必要性への提言

である。

ダム撤去に関する決定は究極的には政治的な問題となる。経験論的に言えば、健全かつ綿密な科学と検討が存在しないところでは、その決定プロセスは間違った方向に導かれ、誤った意志決定が下されがちである。私たちは、意志決定者や市民に対して小規模ダムの撤去の可能性を評価するためのひな型を提供したいと願っているのである。

ダムは何千年もの間にわたって建設されてきた。当初、ダムは潅漑や小さなコミュニティを支える目的で建設されていた。しかし人口が増えるにしたがってダムは次第に大型化し、また多くの存在理由を持つようにもなってきた。河川管理や治水、水力発電、交通、レクリエーション、大規模潅漑プロジェクトなどがダム建設を正当化する理由となったのである。そして、ダムが大きくなればなるほど、国や地方自治体における開発と河川制御の中心としてのダムの役割も大きくなっていった。

ところが、社会が成熟してくると、河川の役割は再評価されるようになってきた。川はただ単に経済的な利益を得るために消費される対象ではなくなったのである。人々は自由に流れる川が、ダムが建設され始めた頃には考えられもしなかったような経済的、社会的、そして環境的な恩恵を与えてくれることに気づき始めた。そして自由に流れる川が社会に少なからぬ恩恵を与えているのだという革新的な展望は、ダムに対して疑念を投げかけ、その撤去の可能性の評価を促したのである。二〇〇一年には世界ダム委員会が、多くの人たちの疑念が正しかったことを確認するような、長らく待たれていた結論を発表した。すなわち、「多くのダムは、その存在がまだ意味のあるものかどうかを決定するために再検討されなければならない」ということである。

全てのダムが悪いわけではない。今日では新たなダム建設のほとんどは発展途上国に集中しているが、多くの場合、このような国では環境規制が存在しなかったり、非常に限られたものであったりして、政治的にも容易に操作されやすい状況にある。中には市民や社会に対し、たしかに無くてはならない恩恵を提供しているダムもある。しかしながら、環境的、経済的、社会的にも今日何の存在理由もなくなってしまったダムも数多くある。そしてその存在に疑問符が打たれ、撤去の対象として評価されるべきはこのようなダムなのである。この本で提示されているプロセスには、ダムの見直しにおいて考慮されるべき重要な要素が提示されている。

 日本人は生命に対する川の重要性をもっとも良く理解してきた人々であると私は信じている。日本人は川の始まりや川が支えている生命のシステムを讃えてきた。私は長良川の土手にたたずみ、漁師や地元の人々がいかに生活を川に頼って生きていたかを語り、科学者たちが彼らの研究がいかに意志決定者たちによって取り上げられていないかを語り、また、人々がいかに多くの政治家たちが庶民の声を無視し続けてきたかを語るのを聴いた。変化は下から突き上げてくるものである。政治的決定に疑問を投げかけ、確かな情報や決定を要求するまでに、地域の人々は力を付けはじめている。ダムと彼らの生活におけるその役割について考えるための対話を持とうと、市民やNGOや政治家たちが力を合わせて働くなかで、日本でも力を付けた市民の進化が起きているのである。この本の中の情報が、このような日本の読者に役立つならこれにまさる喜びはない。

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